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がんが最も多い消化器領域。その治療を天職として消化器外科医になりました。
医療の世界で社会に貢献したい―。
純粋なその想いを胸に、医学部受験を乗り越え、医学生として学び、患者さんのために今、それぞれの分野で活躍する先輩たち。先輩たちはどうして医療の道をめざしたのか。どのような大学時代を過ごし、医療人としてどのようにキャリアを重ねていったのか。第一線で活躍されている先生に、貴重なお話を伺いました。
杏林大学医学部消化器・一般外科学の阿部展次教授は、子どもの頃に抱いていた夢について次のように語る。
「僕は小さい頃から動物が好きで、犬や猫をはじめニワトリ、リス、ハムスターなどを飼っていました。カエルやカマキリ、カブトムシなどの甲虫類にも目がなかったですね。だからほんとうは、獣医になりたかったのです」
ではなぜ、獣医学ではなく医学の道に進むことになったのだろうか。「獣医になるのが夢ではあったのですが、父が歯科医師だったので自分も歯学部を目指したほうがいいのかなと思うようになったのです。2歳年上の兄も東京歯科大学に入学しましたので、それなら僕は国立の歯学部に入ろうと受験の準備をしていました。そうしたら父が、「歯医者はそれほど面白いものではないから医学部へ行ったらどうか」というのです。それで急きょ、進路を医学部に切り替えることにしました。その頃、母が入退院を繰り返していたのも、医学を目指すきっかけになったと思います」
こうして阿部教授は杏林大学を受験し、医学生となったのである。飼っていた愛犬と寝食を共にするような生活は、医学生になってからも変わりはなかった。しかし1年生のときに、それまで平気だった犬の毛やフケが原因となって喘息になってしまったという。「それ以来、犬を飼えなくなってしまいました。それがとても残念ですね」
動物好き、虫好きだった阿部教授は、野球少年でもあった。「小中学生のときはいつも野球をしていました。当時住んでいた東京・品川区の自宅周辺にはまだ空き地がたくさんあり、学校が終わると仲間が集まって野球三昧の日々。品川区の地区大会で優勝したこともあります」
高校時代は野球から離れてスキ一部に所属したが、むしろバイクを駆って湘南や外房の海へ行き、ウインドサーフィンに興じていたという。大学に入ってからは再び野球に復帰し、頭角を現す。4年生のときに打率5割をマークして関東医科大学準硬式野球リーグで首位打者となり、5年生のときには東日本医科学生総合体育大会(東医体)でベスト8の成績を残した。
「僕はショートストップで三番打者。1年上の先輩がサードを守り、“鉄壁の三遊間”といわれていました。東医体でのベスト8はとても嬉しかったですね。開催された新潟の夏が忘れられません」
阿部教授はもともと、手を使って医療をしたいと思っており、内科か外科かといえば外科系志望だったという。
「臨床実習のときに脳神経外科と心臓血管外科にあこがれたこともありましたが、がんの手術が圧倒的に多い消化器外科がメジャーな外科に思えました。当時は開腹手術しかありませんでしたが、その豪快さも魅力的でしたね」
そうした理由から、消化器外科の道を歩むことになった。
1991年に杏林大学を卒業した阿部教授は、仲の良かった先輩の誘いもあって東京女子医科大学第二外科に入局。翌年、聖隷浜松病院へ派遣され、1994年9月から釧路中央病院へ移った。
「聖隷浜松病院では、まず4ヵ月間麻酔科に属し、400例以上の麻酔を手がけ、麻酔科標榜医の資格を取得しました。その後2年間は外科でたくさんの症例に携わり、手術の腕をみっちり磨きました。釧路中央病院時代は、手術が多くないこともあり食べて飲んでの毎日。大好物のカニやイクラなどおいしいものばかり口にしていたら、尿酸値が上がってしまいました。痛みは出ませんでしたが……」
これではいけないと思った阿部教授は、一念発起して1995年に杏林大学へ戻り、大学院で4年間、研究生活を送った。この間に東京理科大学生命科学研究所にも通い、分子生物学領域の研究に没頭した。
「医師は研究を通じて科学的な姿勢を持つことが重要です。研究で得られた新知見を、臨床・社会に還元して医学の進歩に貢献しなければならないからです」と、阿部教授は医師が研究をすることの意義を強調する。
阿部教授が専門としている上部消化管の診療対象疾患は、食道・胃・十二指腸の腫瘍が中心である。「これらを内視鏡治療、腹腔鏡下手術、ダビンチによるロボット支援下手術など低侵襲な治療に主軸を置いているのが杏林大学の大きな特徴です。通常は内科医の手によることが多い内視鏡治療を外科でカバーしているのは珍しいといえるでしょう。ダビンチによる手術は2019年から始めています。僕自身が手がける手術の割合は、おおむね内視鏡治療が3割、腹腔鏡下手術が3割、ロボット支援下手術が1割、残り3割が開腹手術となっています」
ダビンチによるロボット支援下手術など低侵襲治療に定評があります。
杏林大学医学部では、今年5月に新しい講義棟がオープンした。阿部教授は、「緑が豊富な環境の中、真新しい学び舎で学生生活を送ることができる。それが杏林大学医学部のすばらしいところです。担任制度によって教職員と学生が密に接しており、自由な雰囲気に満ちているのも良さといえるでしょう。大学病院には杏林の卒業生が多く、診療科同士の横の連携がよくとれているのが強みですね」とアピールする。
そして、「医学部に入るのは医師になりたいからにほかなりません。単に成績が良いから医学部を目指せと進路指導している高校が多いようですが、医師になりたいという確たる目標がなければ、いくら優秀でも人学した後のたいへんさに疲弊してしまうでしょう。本当に医師になりたいのかどうか、見つめ直してほしいと思います」と、受験生ヘメッセージを送る。
阿部教授は医師になってからテニスを始めた。月に4〜5回は同好会仲間とボールを打ち合って汗を流すのを趣味としている。焼き鳥用の七輪やサムギョプサル(韓国の豚バラ焼肉)用の鉄板など様々な“焼き道具”を揃えているのも趣味の一つだ。「週末になると自宅マンションのルーフバルコニーに赤提灯を下げ、それらを駆使して焼き鳥や焼き肉を調理し、家族や友人にふるまっています」。最近はホッキ貝やホタテ貝など“貝焼き”にも凝っているとか。
阿部教授は恩師から事あるごとに「奢らず謙虚に」といわれてきたという。その言葉とともに「分相応に生きる」ことを心がけるよう「奢らず謙虚で、分相応に」ということを座右の銘にしている。焼き鳥や焼き肉を自ら調理して人をもてなすという趣味からも、座右の銘のような生き方を実践していることがうかがえる。
医師になるという確たる目標をもって医学部を目指してください。
こちらの記事掲載冊子は「私立医科大学受験ガイド2023」です。
※2022年6月時点の取材内容
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2024年4月、医学部付属杉並病院開院
医学部の2つ目の付属病院として、2024年4月に東京都杉並区に開院しました。
三鷹市にある本院から10㎞以内に位置する、340床規模の病院です。
本院と連携しながら、地域医療に貢献するための中核病院として注目されています。
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