医療の世界で社会に貢献したい―。
純粋なその想いを胸に、医学部受験を乗り越え、医学生として学び、患者さんのために今、それぞれの分野で活躍する先輩たち。先輩たちはどうして医療の道をめざしたのか。どのような大学時代を過ごし、医療人としてどのようにキャリアを重ねていったのか。第一線で活躍されている先生に、貴重なお話を伺いました。
麻酔科医は、全診療科をカバーする重要な役割を担う
映画やテレビドラマで、飛行機の乗客が突然体調を崩すという緊急事態が発生し、機内に「医師はいませんか?」というアナウンスが流れるシーンを目にした人も少なくないだろう。いわゆる“コードブルー(救急コール)”である。東京女子医科大学麻酔科学の長坂安子教授は、アメリカの病院に勤務していたとき、まさにそうした場面に遭遇し、人命を救助するというドラマさながらの経験を有している。
「東京からアメリカヘ帰る飛行機での出来事でした。機内のアナウンスに応じた私はすぐに様子がおかしいという乗客のところへ案内され、ほかに3人の医師と2人の医学生が集まりました。その乗客は脈が触れず、心肺蘇生をしなければなりません。麻酔科医は私ひとり。気道を確保するための気管挿管の道具や薬剤、酸素タンクの残量などを即座にチェックし、挿管を行って皆で心肺蘇生を続けました。しかし、瞳孔散大から約1時間が経過し、自己心拍再開は絶望的。あきらめかけていたところ、娘さんが大きな声で『お父さん!」と呼びかけると、しばらくしてひとつ呼吸が。そして医学生が『脈が触れます!』と声を上げました。飛行機は近くの空港へ緊急着陸し、患者さんは無事、病院に搬送されました」
“麻酔といえば手術”というイメージが一般的である。だが、長坂教授の経験談のように、麻酔科医は気道確保を要する緊急時には心肺蘇生のリーダーとなる。つまり、活躍の場は手術室だけでなくあらゆるフィールドに及び、全診療科の疾患をカバーする重要な役割を担っているのである。
手術室においては、「例えば患者さんの血圧が下がった場合、私たちは薬を投与して3秒という瞬時に効くよう対処しています。その意味で麻酔科は、人の命に直結した超急性期の診療科でもあります」と長坂教授はいう。
医局員みんなが、楽しく和気あいあいと働ける雰囲気づくりを心がけています。
弓道部を創設し、病理学に夢中になった学生時代
長坂教授は小さい頃から医学に関心を抱いていた。「最初に医師を意識したのは、幼少期に母が野口英世の絵本を読んでくれたときでした。左手に大やけどを負った英世が手術を受けて指が使えるようになり、それがきっかけで医師を志したという話が素敵だと感じました。小学生になって手塚治虫の医療マンガ『ブラック・ジャック』を読み、医師は人の命に貢献できる職業だという認識を強くしました。
そして高校生のとき、長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の放射線科医師だった永井隆の『長崎医大原爆救護報告書』に接しました。その後白血病を患い、自身も原爆に被爆して重傷を負ったのに被爆者の救護活動を続けた永井の献身ぶりに心を打たれ、“自分の進む道はこれだ!”と確信して東京女子医大に人学しました」
学生時代、長坂教授は弓道部を立ち上げた。当時通っていた東京・目黒の道場の師匠の計らいで、新宿コズミックセンターの弓道場を稽古場とすることができ、30年を経過した今も部員はここで稽古に励んでいる。部活とともに夢中になったのが病理学である。病理学教室の小林槇雄教授の授業に惹かれ、放課後も教室に通って教授の教えを乞うたという。
「弓道部の創設者であることが学生時代のいちばんの思い出です。そして小林教授と出会い、病理学が深く心に響いたことも忘れられません。基礎研究がいかに大事かということも小林教授から学びました」
患者さんをおっかさんと思って麻酔をしなさい、という思師の言葉に共鳴
大学卒業後は、聖路加国際病院の内科系研修医となった。当時はまだ卒後研修医制度が義務化されておらず、医学部を卒業すると希望する診療科に入局するのが通例だった。だが、米国式の臨床研修(卒業後各診療科をローテーションしながら医師としての基本を身につけ、専門科に進む方式)を制度化している病院もいくつかあった。「将来、病理学に進むにしても、全身を診ることができる医師をめざすべきであり、米国式の臨床研修を備えている病院へ行くのが望ましい」という小林教授のアドバイスもあって聖路加国際病院を受験し、内科系研修医として医師の第一歩を踏み出した。
そこで将来を決める運命と巡り会う。「ローテーションで麻酔科の研修が始まったとき、なんてすばらしい診療科なのだろうと思いました。もともと私は手技が好きでしたので、硬膜外、CVラインや気管挿管をはじめとする手技の多い麻酔科は性に合っていました。薬理学や生理学といった基礎医学が臨床と融和しているのも驚きでした。
学生時代にはそうした奥深さに気づいていませんでしたので、より全身を診る麻酔科に魅力を感じました。また、外科医や看護師たちとのチームワークで行われる手術室での医療は、皆で協力をすることが好きな自分に向いていると思いました。そしてなによりも、『患者さんを自分のおっかさんと思って麻酔をしなさい』という恩師・瀧野恵介先生の教えに共嗚しました」
2人の幼子を連れて、あこがれの米国留学
その瀧野先生から「麻酔科に来ないか」と声を掛けられ、内科研修医としての3年間の勤務を終えたあと麻酔科に転科。麻酔科医として6年間を過ごし、麻酔科専門試験にも合格した。この間に結婚して2児を授かったが、下の子をもうけた頃に常勤枠の関係で聖路加国際病院を退職せざるを得なくなった。
そこで研究の道に進むべく東京女子医大麻酔科の扉をたたき、研究生として採用されることになった。そして大きな転機が訪れる。アメリカへの留学話が持ち上がったのである。
「留学先は麻酔の殿堂であるハーバード大学・マサチューセッツジェネラルホスピタル(MGH)。学生時代から留学に憧れていた私にとっては夢のような話でした。でもその当時、私はシングルマザーとなり、上の子は6歳、下の子は2歳になったばかり。子どもと離れて単身留学するわけにはいきません。
そこで、上の子が生まれてからずっとお世話になっていたシッターさんに相談したところ、一緒にアメリカヘ行っていただけるとのこと。その方にもご家族があります。にもかかわらずお引き受けいただき、感謝に堪えませんでした。こうして2005年6月にMGH麻酔科の研究員として渡米しました」
アメリカでの生活は11年に及んだ。この間に研究室から臨床に移るとともに、MGH麻酔科の心臓胸部外科麻酔フェローを修了し、スタッフとして半年間の勤務を経て2016年に帰国。聖路加国際病院麻酔科部長に就任し、2020年4月に東京女子医大に迎えられた。
臨床と研究に加え、これからは教育にも力を入れる
「東京女子医大には真摯に診療を行い、患者さんのために人生を捧げている医療者がたくさんいます。そして先進医療に取り組み、早稲田大学との連携による先端生命医科学研究教育施設(TWIns)を中心に最先端の研究を展開しています。こうしたすばらしい集合体の一員に戻ることができたのをとても幸せに感じています」
さらに長坂教授は、東京女子医大の麻酔科と今後の抱負について次のように語った。
「東京女子医大の麻酔科は心臓血管手術の全身症例が年間800例を数えるように、日本の心臓麻酔のメッカとなっています。現在、MGHの研究室に医局員が1人採用され、ハーバード大学と留学に関する交流があるのも大きな特徴です。私はMGHで学んだことを日本流にアレンジし、理想と思えるような教育体系を整備したいと思っています。
今後はこれまでの恩返しの意味もこめて、医学生や臨床研修医など未来の医療を担っていく人たちの教育にも力を入れていきます」
東京女子医大の麻酔科は、世界に通用する麻酔科医を育てます。
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※2021年6月時点の取材内容
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