医療の世界で社会に貢献したい―。
純粋なその想いを胸に、医学部受験を乗り越え、医学生として学び、患者さんのために今、それぞれの分野で活躍する先輩たち。先輩たちはどうして医療の道をめざしたのか。どのような大学時代を過ごし、医療人としてどのようにキャリアを重ねていったのか。第一線で活躍されている先生に、貴重なお話を伺いました。
高校時代にクイズ番組に出場、クラスメイトと映画を作り文部大臣賞受賞
「産婦人科は新しい家族が最初に訪れ入院する診療科です」。
そう語るのは、順天堂大学医学部産婦人科学講座の板倉敦夫教授だ。板倉教授が長を務める産婦人科では妊娠して出産を希望する方はもちろん、産後の母乳相談やメンタルケア、婦人科悪性腫瘍や子宮筋腫、子宮内膜症などの女性特有の疾患、さらに女性アスリートのコンディションなど、患者さん一人ひとりに最適な医療を提供する。産科領域では「地域周産期母子医療センター」として、小児科や小児外科とも密に連携し、多くの胎児疾患の管理、ハイリスク妊娠の管理を行っている。
産婦人科医として30年以上のキャリアを重ねる板倉教授だが、中高生の頃は自分が医師の職に就くとは想像したこともなかったという。ただ振り返ると、小さい頃から「なぜ?」と思ったら、片っ端から百科事典で調べる少年だった。自然と雑学は溜まり、高校生の頃には立派な雑学王に。テレビのクイズ番組の高校生大会に出場した経験もあるほど。
通っていた都立高校の自由な校風もあり、3年生の文化祭ではクラスメイトと映画を製作し、作品コンクールにも出品した。「そうしたら文部大臣賞を受賞しちゃって。勉強は真面目じゃなかったけど、そんなことには一生懸命で(笑)。いい思い出です。以来、今でもその高校では3年生の映画製作が伝統になっているそうです」
数学と物理は得意だった。大学も理工系に進学したが、第一志望ではなかったこともあってどうしても馴染まなかった。親に留年しないことを条件に再受験を許してもらい、そこで初めて医学部受験も視野に入れた。しかし、当時は漠然とサイエンスに興味があり、臨床医というよりも研究者に魅力を感じていた。
得意な論理的思考が開花した臨床実習、新生児の脳性麻痺を減らしたい
そして名古屋大学医学部に進学。しかし、いきなり壁にぶつかる。「『数学・物理選択の医学生は伸びない』というのは、医学教育界ではもはや定説になっているほどで、私はまさにその典型でしたね(笑)」
医学の勉強においてはとにかく覚えることが多く、特に低学年次は一定量の知識を詰め込む必要がある。数学・物理人間の板倉青年は論理的思考と演繹的思考は得意だが、帰納的推論といわゆる単純記憶はとても苦手だった。
「全然覚えられなくて。友だちは普段そんなに勉強してないのに骨や寄生虫の名前をスラスラと覚えてしまう。低学年の頃は本当に苦労しましたね」
何とか基礎となる知識を少しずつ増やしていった。5年次の臨床実習が始まった頃から医学の勉強が段々と面白くなってきた。
「実際の患者さんの前では、単純なマニュアルの暗記だけでは通用しません。一人ひとりの症状や状況に合わせた論理的思考や演繹的推論が求められます。当時の私は、おそらく知識が蓄えられ基盤が形成されたので、得意だった論理的思考や演繹的推論を駆使する機会が増えて面白くなったのでしょう。医学部をめざす数学・物理学生に『最初は我慢。臨床実習で花開くよ』って伝えたいですね」
脳性麻痺を減らすために産婦人科へ、ガイドライン作成に携わり夢を実現
臨床実習で医学の面白さを実感し、それまで描いていた研究者ではなく、臨床医の道をめざすようになった。卒業後の1年間は、どこの医局にも所属しない「非入局ローテーション」の研修医となった。各診療科をまわる中で最も惹かれたのは小児科だった。小さな命を救うNICU(新生児集中治療室)に憧れ、小児科の研修期間が修了しても顔を出すほどで、自分の中でほぼ小児科専攻の進路が固まりつつあった。
そんなある日、衝撃的な出来事があった。NICUで早産児の脳波検査をしながら先輩医師が「この子は残念ながら脳性麻痺になる。でも早く生まれたからではなくて、お母さんの子宮の中で脳損傷を受けたからだよ」と説明してくれた。NICUではなく、もっと早いタイミングでの対処の必要性を初めて知った。「子どもの脳性麻痺を減らしたい!」。ただ、その純粋な想いを胸に、産婦人科への入局を決めた。
名古屋大学医学部附属病院産婦人科に所属し、産婦人科医としての一歩を踏み出した。
しかし、現実はそう甘くはなかった。名古屋大学のみならず、日本でこのテーマを研究している産婦人科講座は存在しなかった。海外留学を考えたこともあったが現実的な選択肢ではなかった。所属する研究室の伝統的なテーマである生化学的アプローチによる胎盤の機能解析などを行う日々。胎児の脳損傷について臨床研究などは行ってきたものの、夢の実現にはまだ遠かった。
2006年、埼玉医科大学医学部に教授として移った。そして2008年、板倉教授にとって大きな転機が訪れた。「産婦人科診療ガイドライン」が創刊され、産科に関するエビデンスを世界中から集め、日本の妊産婦に最善の医療を提供するための推奨を示す取り組みが始まった。翌2009年には脳性麻痺の子どもに対する補償や原因分析を行う「産科医療補償制度」が設立され、これまで半ばタブー視されていた脳性麻痺に関するエビデンスが数多く集まるようになった。板倉教授は2014年から6年間、ガイドライン作成委員長を務め、持ち前の論理的思考や研究で培ってきた洞察カ・分析力を駆使し、ガイドライン作成に貢献した。
「多くのエビデンスを反映させることで全国の産婦人科医が参考にすることができ、その結果、脳性麻痺の子どもの数が減少しています。自分の研究だけでは十分に貢献できませんでしたが、ガイドライン作成に携わったことで、脳性麻痺を減らす夢が叶えられました」
オンラインで問われる対面授業の進化、PassiveからActiveへ常に挑戦を
現在、板倉教授は日々の診療・研究の傍ら、学生の講義や実習など、教育に尽力する。順天堂大学医学部といえば、1年次の寮生活、スポーツ健康科学部との共同生活が大きな特徴だが、板倉教授は「その効果は大きい」と強調する。(※2020年度・2021年度は寮生活を中止しています。)
「かたや金メダルクラスのアスリートたちです。結果を求めストイックにトレーニングに励む彼らとのギャップこそが、多様性を知り、他者を思いやる心や、切磋琢磨の精神を育む経験となります」
コロナ禍で大学の授業もオンラインが定着しつつある。順天堂大学においてもここ1年ほどでオンデマンド配信できる講義コンテンツが増え、学生は好きな時間にどこででも学べる環境となった。
「オンラインになっても学生の成績は下がってない。これは裏を返せば、我々の授業がいかに試験のためだけに終始していたかということです」と板倉教授の分析は厳しい。
オンラインで知識を得ることが当たり前となった今、「対面」で行う実習などの授業の「質」がますます重要になった。医師として、医学者として高い能力を発揮できる人材の育成を行うために、順天堂大学医学部においても、常に授業のブラッシュアップに取り組み進化をめざす。
「医学部に合格する人は偏差値も高く、問題を正解に導く能力は優れています。しかし、患者さんに対する医療、また将来につながる医学研究においては、問いを立てる力、つまり問題点の抽出から始めなければなりません」
大切なのは、「Passiveではなく、Activeへの切り替え」と板倉教授は語る。
「何にでも興味を持って主体的に学ぶこと。私自身、夢を持ってやって来たし、皆さんもどんどん興味あることに挑戦してください」
答えはひとつだけでない。PassiveからActive への切り替えが大切。
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※2021年6月時点の取材内容
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