【東邦大学】大学創立100周年を迎えて ~Part2~『自然・生命・人間』を探究して社会に貢献する
東邦大学 開学 100 周年
『自然・生命・人間』を探求して社会に貢献する
東邦大学は2025年に開学100周年を迎えました。その歴史は1925年に帝国女子医学専門学校が開校した医学教育が原点になります。そして今日までに、正しい自然観、生命観をもとに、心ある医療人・科学者を育成する自然科学系総合大学へと発展しました。創立者である額田豊・晉兄弟の思いは、『自然・生命・人間』(額田晉著)の中で描かれ、今も東邦大学の建学の精神として受け継がれています。医学部においては、確かな医学的知識・技術はもとより、豊かな人間性を備えた医療人を育成しています。

医学部と大学のあゆみ 1925~2025
帝国女子医学専門学校開校
「女性にも科学的な教育の機会を」という思いから、額田豊は弟の額田晉とともに女性の医師を養成する医学専門学校を、現在の大森キャンパスの地に設立しました。第1回生の募集には600人もの志願者が集まりました。同年に付属病院、翌年には付属看護婦養成所を開設します。
第1回卒業生の快挙、国試全員合格
教育にあたってはすぐれた講師陣を集め、医師試験に臨んだ第1 回卒業生の全員が合格を果たし、世間を驚かせました(1930年2月)。この優秀な成果により、翌年の卒業生からは試験免除で医師資格が得られる文部省指定校となりました。
女子の自然科学系総合学園への発展
1927年に薬学科を設置し、1941年には理学専門学校を設置。女性には門戸の狭かった理科系の高等教育を実現し、志ある女子学生が全国から集まりました。そして医学・薬学・理学・看護学を擁する、当時としては稀な女子の自然科学系総合学園として、今日の東邦大学の礎が築かれました。





大森キャンパスの被災
太平洋戦争末期、学生たちは空襲におびえながら集中講義と勤労奉仕の日々を送りました。1945年4月15日の夜には大空襲を受け、校舎や病院が焼け落ちてしまいます。この時、医学部本館だけは職員・学生の必死の消火活動により守られ、現在も本学のシンボルとなっています。当時キャンパスにいた教職員・学生は1人も欠けることなく、入院患者さんも全員避難させることができました。
新制東邦大学誕生
戦後の教育改革では、医学専門学校は廃止とされ、大学昇格への基準に満たなかった本学に廃校の危機が迫りました。しかし額田豊理事長、晉校長を先頭に教育や病院の復興に邁進し、この判定を覆して、大学への昇格を果たしました。大学設置にあたり「帝国」という校名は、さらにスケールの大きな「東邦」という名称に変え、新時代に向けた男女共学化に踏み切りました。1950年に東邦大学が誕生します。
付属病院の拡充
空襲で壊滅した付属病院も大学昇格に向けて復興され、大森病院と改称し、新しい病棟が次々と増設されました。平成に入ると高度先進医療を見据え、大森病院再整備計画がスタートします。
1964年には大橋病院、1991年には佐倉病院を開設。高度医療・地域医療への貢献とともに、より良き臨床医育成のための充実した教育病院となっています。




開学100 周年
2025年、開学100周年を迎えた東邦大学は、5学部10学科を擁する自然科学系総合大学になりました。あらゆる分野で「自然・生命・人間」を探求し、さらに学部学科の枠を越えて連携しながら、社会に貢献していきます。



掲載冊子
こちらの記事掲載冊子は「私立医科大学受験ガイド2026」です。
※2025年6月時点の取材内容
掲載冊子をお求めの方は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。
数に限りがございますので、在庫状況によりご希望に添えないことがございます。
あらかじめご了承ください。





