医療の世界で社会に貢献したい―。
純粋なその想いを胸に、医学部受験を乗り越え、医学生として学び、患者さんのために今、それぞれの分野で活躍する先輩たち。先輩たちはどうして医療の道をめざしたのか。どのような大学時代を過ごし、医療人としてどのようにキャリアを重ねていったのか。第一線で活躍されている先生に、貴重なお話を伺いました。
医者よりも研究者に憧れた受験生時代
中学・高校と陸上部で短距離(100m)の選手だった。大学でも医学部の部活ではなく、全学部のいわゆる“体育会’’の競走部に所属。現在でもシニア大会に出場するという、引き締まった身体にしなやかなバネを感じるスポーツマンだ。
北里大学医学部長・解剖学教授 小川元之。約30年のキャリアを重ねる医学研究者だ。専門は肉眼解剖学。カエルの卵を使用した発生遺伝学の研究に取り組む一方で医学教育学にも長く携わる。
子供の頃に観た「白い巨塔(田宮二郎主演)」がきっかけで医師に興味を持った。4歳上の兄が医学部に入学し、充実した日々を送っている様子も楽しそうに見えたという。
ただ、医師になるというよりも、医学や科学の世界で研究をしてみたいという想いを持ちながら、大学受験を迎えた。
「受験勉強はやればやるだけ成績が上がるので、それはそれで楽しかったのですが、予め答えが決まっている問題を解くだけでは面白くない。まだ答えのない問題を探り到達していくことに強い魅力を感じていましたね」
当時はバイオテクノロジーが全盛の頃。小川教授も、最初は医学部志望ではなく、東京大学のバイオ関連の研究室をめざしていた。2 年チャレンジしたが、残念ながらそれは叶わなかった。一方で成績が伸び医学部も射程距離となり、2浪目で初めて医学部を受験。慶應義塾大学医学部へと進んだ。
全塾の競走部に所属、勉強は専ら自宅で黙々と
大学では勉学の傍ら、部活にも熱心に取り組んだ。中学・高校と続けていた陸上を大学でも続けようと競走部に入部。しかも医学部だけの部ではなく、全学部を対象とした「全熟」と呼ばれる競走部に所属した。「医学部で全塾の競走部に入部したのは約10年ぶりという珍しさで。私の下の世代も医学部からの入部は約10年後と聞いています。いわゆる体育会ですからね。大学時代は毎日学ランを着て通学していました(笑)」
なかなかの強者である。「週5日、特に低学年の頃は15時頃から日吉キャンパスのグラウンドを走っていました」
部内に医学部の先輩がいなかったため、試験や進路について具体的にアドバイスをもらったりすることはほとんどなかったが、慶應大学医学部で代々伝わるグループで講義記録を共有する「デュプラー」の仕組みには助けられたという。
「講義の内容がしっかりとまとめられ、冊子(デュプロ)になっているんです。試験前などはそれを読み返してポイントを理解していました。学年で100名程度ですから皆顔見知りで、今でも仲が良いですよ」
当時の講義と言えば教員側からの一方向的なもので、学生が理解しやすいような配慮がほとんどなかった。「専門用語も略語でバンバン出てきて、とにかく分かりづらい。全く理解できないこともあったりして、もう自分で本を読んで勉強する方が早い。専ら自宅で“自主勉強’’をしていました(笑)」
試験前も一人自宅で勉強するのが好きだった。時々、電話で友人と情報交換をしたり、わからないところを確認した。年次が進むにつれ実習も増え、座学で得た知識をアウトプットする場も増えてくるが、中でも小川教授が印象に残る授業として挙げるのが、4年次の「自主学習」だ。
医学生が能動的に研究に取り組む慶應大学独自のユニークなカリキュラムで、興味がある基礎研究のテーマを選び、研究室に通い、教員とマンツーマンで約4か月間、研究に取り組む。このとき「解剖学」を選択したことが、小川教授の解剖学研究の始まりだった。
4年次の自主学習で触れた研究の醍醐味
このとき生理学、病理学など、いくつかある研究室の中から「解剖学」を選んだ理由について、小川教授は「やはり、医学部の学びの入口となる解剖学実習で受けたインパクトが大きかった」と振り返る。
「それまで図鑑や標本などで各臓器や位置など一応、理解はしていましたが、実際にご遺体を解剖すると肉眼で鮮明にわかるわけです。目に見えない遺伝子レベルの研究などと違って、非常にクリアでわかりやすい。例えば、遺伝子レベルの異常の結果として、奇形や癌など目に見える病変として捉えて、調べ探求することの大切さを感じました」
自主学習ではまず研究の進め方について、先生と相談しながら決める。そして仮説を立てながら実験を進めていくが、必ずしも望む結果が得られる保証はない。しかし、それこそが研究の醍醐味であり、失敗が次の研究課題やアプローチ方法のヒントにつながり、ときには新たな研究の種となる。かねてから基礎研究を志望していた小川教授にとって、それは有意義な経験となった。
そして卒業を迎える6年次のとき、ちょうど解剖学教室で研究員の募集があり、晴れて解剖学教室の一員となった。初めから有給助手のポジションが与えられたことも大きく、生活費の不安もなく、研究に取り組める環境は有り難かった。
特に小川教授が力を入れて取り組んだのが、Xenopus (ゼノパス)というアフリカツメガエルの卵を使った発生学の研究だ。2000年には米国のCold Spring Harbor研究所で開催された「Xenopus 2000 course」という講習会への参加資格を得て、現地で実験手技を学んだ。約10日間という短期講習だったが、世界中から集まってくる研究者の手技を間近で見ることができ、新しい手法を学ぶ絶好の機会になった。
「ずっと一人、独学で研究をしていましたから、自分がどれだけ世界でやれるのかを知る機会でワクワクしながら参加しました。実際、自分の実験手技が参加した研究者の中でもかなりイケている方だったので、非常に励みと自信になりました。あとは日本に比べてツメガエルが5倍くらい大きい(笑)。卵もしっかりしているので実験の失敗がない。そういった本には書かれていないが重要なことは、日本に居るだけでは知り得ない。やっぱり、外の世界を知り肌で体験することは大切ですね」
医学教育に尽力、手厚い学習サポートが北里大学の特長
2005年に北里大学医学部に移ってからは「医学教育」に尽力した。学生の授業では「解剖学」や「発生学」などの科目を受け持つが、大阪出身の小川教授の講義はバリバリの大阪弁だ。中でも2年次の解剖学の授業においては、医療人としての態度や心構え、知識を厳しく指導する。
「特に実習ではご遺体に対する不敬な態度は絶対に許されません。医療人になる人間として真摯にご遺体に向き合い、学び、糧とさせて頂くためにも、実習前にはしっかりと予習をし、実習中には口頭試問やeラーニングなどを重ね、しかるべき姿勢と知識を備えたうえで実習に臨むように指導しています。私自身もそうでしたが、解剖学実習を機に学生たちの姿勢も徐々に真剣さが増してきます。それだけ尊く大切な実習です」
その傍らで、学習支援研究部門にも所属し、特に高学年次の進級・卒業試験、国家試験では、学生一人ひとりのオーダーメイドの学習支援に取り組んでいる。
「北里大学医学部はさまざまな大学出身の教授がバランスよく在籍しています。これらの教授陣がチームとなって学生たちを手厚く指導できることが特長です。まさに、各プロフェッショナルが結集するチーム医療です」
現在、解剖学講座・教授、そして医学部長を務める小川教授。基礎研究の魅力についてこう語る。
「まだ見ぬ答えに向かって探求するのが楽しい。自分が見つけて終わりではなく、それを元にいろんな人の研究の材料やヒントになって、どんどん研究が発展していく。そして、いろんな病気の人や科学の発展に役に立てたと実感できたときが一番嬉しいですね」
自分だけで終わりじゃない。次の研究の種となり、やがて医療や社会へとつながる。
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※2024年6月時点の取材内容
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